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慣れてしまった牛の執念

​佐藤達也

9月頭くらいからソワソワしていたことを思い出す。8月に制作合宿をおこない、これに向けての大まかな作品の方向性をそれぞれ決めようと意気込んでいたが、結果、いつも通りの悪あがきに終始した。コロナにめちゃくちゃにされた「僕ら」を追い込み、さらにはこれ以降の孤独な牛を暗示するかのように。

N Yの代わりに企画した公開制作は10月中頃、私は牛のために墨を磨った。20日間、朝から夜半まで5台の墨すり機をフル稼働させ、10丁型の墨を20本以上消費した。仕事で家を空けるときはおばあちゃんに面倒をみてもらった。機械が磨った墨では粗くてだめなので、それを手磨りする。1日8時間ちかく、映画を何本も観ながら、本を読みながら、スマホいじりながら、手を真っ黒にさせて牛への執念をすり込んでいった。墨の匂いで頭がおかしくなるかと思った。

公開制作の朝までに15リットルの墨ができたがまだ足りなそうだったので公開がはじまってからも磨り続けた。来場者に「いつ書くのか?」と聞かれるが「まだわからない」「夕方あたりに」としか答えられない。せっかく来てくれたんだから待たせるのは申し訳ないと思いながら、俺の作品なんだ、パフォーマンスみたいなチープなやつじゃないんだ、黙って見ていろ、くらいは思った。

夕方、超大筆にあの執念の墨をたっぷりと含ませ、大画面に飛び込む。書の線とは、画面構成は、これまでにない作品を生み出すぞ!と頭の中で思ってはいたが、飛び込む瞬間にはなにもなかった。自分のしているこれが牛であるのか、書であるのか、などにはまったく興味がなくなっていた。ほんの数十秒のことで、牛と格闘するために費やしてきた時間は関係ない。ほんの数十秒ことだが、徹底した自己満足の世界にいられる喜びをひたすら感じた。

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「僕らの書展」が小賢くまとまろうとしていたことは事実で、3月の根津展の評価は真っ二つだったが、あのテキストをそれぞれが執筆するために咀嚼していった歴史や事実は絶対に必要なことだったと思う。先の見えない緊急事態宣言下におかれた私は牛から少し離れることができた。離れれば離れるほど、牛を思い出して恋しくなる。

この牛が憧れなのか、妬みなのか、自画像なのかはわからない。が、どでかい牛にすべてを呑み込ませてしまおうとは思った。もはやこれが書であるのかもわからないし別にその程度のことはどうでもいい。牛の中には大胆で繊細な、単純で複雑な味のする良質な肉がギュッと詰まっている。そのステーキを食べて「僕らの書展」は地を這いつくばって作品をつくってきた。再確認できた。

爪がまだ黒いうちにこの泥臭さを書き留めておこうと思った。

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